美術散歩

葛飾北斎と三つの信濃展を観た

長野県立美術館で開催されている「葛飾北斎と三つの信濃展」(後期)を観た。小布施北斎館、隅田北斎館、浮世絵博物館、川崎砂子の里資料館、板橋区立美術館、千葉市美術館などから集められた北斎の版画、肉筆画が堂々の公開である。中でも今回の売り物は、岩松院の「鳳凰図」の実物大のコピーだ。NTTの最新の技術を駆使しての作だが、あの「鳳凰図」が間近で見られるのはまたとない機会だ。細部の筆遣いや色の塗り重ね、金箔の散らした様子、天井画に取り付ける際のズレなど、その気になってみると実に面白い。岩松院にはもう何回も行っているがこうした見方は今までにはない。また今回、この天井画が未完成であり、本当は鳳凰の背景は金箔で敷き詰める計画だったことも解説された。当時の飢饉の広がりで、オーナーである高井鴻山がその資金を被害救済に回したため、製作費を切り詰めざるを得なかったとのこと。それでも現在の金で4千万円ほどがかかったというから大変な製作費だ。この他にも、富岳36景や百物語、琉球八景、諸国瀧巡り、諸国名橋奇覧などの版画、多くの肉筆画の数々は時間を忘れさせた。全部開かれてはいなかったが、北斎漫画も15巻すべて揃っていて、北斎の足跡を改めて感ずることが出来た展覧会だった。

稲井田勇二日本画展

稲井田勇二の日本画 

 緑青、群青、朱、黄土、胡粉、墨・・・。今は人工のものが多いが、天然の鉱石を砕いて粉末状にした日本画の絵具である岩絵の具は、色が美しく魅力的だ。群青は白群や黒群青を生み、緑青は焼緑青や黒緑青を生む。朱からは辰砂や古代朱が生まれる。群青と緑青は群録を生む。胡粉は貝殻の粉で黄土は土だ。粒子の違いや精製の違いが微妙な色の違いを生みだす。

 稲井田勇二はこの岩絵の具の美しさに魅了された一人だ。彼の画室には小瓶に入れられた何百という絵具が整然と並べられていて壮観だった。彼の描く「夕暮れ」、「冬景」、「春の気配」に、そして、浅間山や甲斐駒の山々の「景」に、この岩絵の具たちが静寂な画面を創り上げている。時として画面全体に掛けられ茜色、秋の岩肌を染めた赤色は、彼の好きな辰砂(赤)だ。それは田舎の家族総出の稲刈りの夕焼けから来る原風景の色だという。胡粉と黄土と墨の混じり合った枯れ草や木々の「冬ざるる」景は、それを包む空や風が画面を吹き抜けていく。彼が描き続けたかったのはそうした景と景の中にじっと生き抜く人たちの息づかいなのだろう。

 ある時、彼はそれまでの画風を一変させた。「遠くの戦争」シリーズである。テレビから映し出されるイラク戦争は、この日本の空とつながった遠くの空のもとで行われているのだと、日本画家としても居ても立ってもいられなかったのだろう。それは直截な戦争の作品ではなかったが、彼自身の内なる戦争表現だった。それ以降、彼の描く「空」は地球上で起こっていることを総て見ている「空」となっていったように思う。

 今、大きな曲がり角を経て、改めて「生」への慈しみの心で新しい「空」を描き始めている。日本画の伝統を大切にしつつ、それに飽き足らずに新しいオリジナリティを求めて幾つもの挑戦を積み上げてきた画業をさらにバージョンアップして、これからも魅力的な日本画を描き続けていってほしい。

特別展 没後80年記念 竹内栖鳳特別展 没後80年記念 竹内栖鳳

またまた、竹内栖鳳展を観た。前回見たのは同じ山種美術館の「日本画の教科書展-京都編」での竹内栖鳳だったが、今回は没後80年記念特別展ということで、今までにない栖鳳の作品と出会えた。あまりにも有名な「班猫」(重要文化財)「憩える車」はいつ見ても見飽きることはなく新しい発見がある。特に胡粉の表現がすばらしい。時として厚い胡粉を使い、時として墨と白緑に掛けた薄手の胡粉の透明感がいい。

そしてやはり墨の線がいい。形を表す線は決して輪郭線ではないのだ。ところどころが切れていて物の形を「思わせてくれる」線なのだ。曰く、デッサンをしっかりしてない人は、無駄な線をいっぱい描きたがる。デッサンがしっかりしていれば、いらない線は描かない」と。なんとも耳が痛い言葉だ。アマダイを描いた今回初公開の「海幸」、みずみずしい葉っぱの白と緑が美しい「白菜」、単純な形の組み合わせとアリの表現が面白い「真桑瓜図」など個人蔵の作品がいくつも見られたのは今回ならではの収穫だ。カエルが水の中で一息ついている「緑池」は、実は一昨年私がコンフューズ展に出した作品とうり二つだ。決してまねたものではないが。もちろん比べようもない。やはり表現力が違う。(12月4日まで)

第76回日本アンデパンダン展第1室感想

 コロナ禍で鬱積していた気持ちが開放に向かい、アンデパンダン展の「元気」が蘇ってきた。多彩な作品のエネルギーに引き寄せられながら心が沸き立つ。1室に入り目に飛び込んでくるのが貴志カスケ「へ」。時々変な音を発する久々のモニュメント。あゝこれ、おならの音か。と妙に納得してクスリと笑いを誘う。続いての立体は金田勉の「鎮魂と再生と2023」、間地紀以子の「『マモリタイ』モノ」、根木山和子の「向こうがわ」、諸角知子の「海の底の遺物」と続き、平面と立体がコラボして新しい空間を提供してくれる。壁面作品もそれぞれメッセージ性を強くにじみ出している。柴田広子の「三才の国民つれてデモにいく(野村さやかの句)満月よ照らし續けよ握った手(森田高志の句)」、渡辺柾子の「届かぬ叫び」「平和を願う」、芳賀猛夫「NO WAR2023)」等は、戦争か平和かの岐路に立ついまの状況に対する危機感の率直な表出だ。浅川光一はムシロバタに思いをそのままぶつけた作品。作品に文字を入れることには賛否があるが、今の思いは“そうはいっていられない”という感じだ。中橋肇は「からめ捕られる街」、中村安子は「又、同じ道を歩いている」で戦争の準備が進行する現実を造形化し、豊岡チエは「正義の地層に立つ」で鑑賞者の心底に問いかける。星河秀雄は今回も人の尊厳に迫り、川本久は〇□△で、笹間宏はマスクとスマホ社会を風刺する。ユリイカの森の謎解きの試みも面白く、加藤義雄、いなおけんじ、渡辺つむぎの作品は空間を意識した魅力的な自分の壁を創り上げていて見ごたえがある。そんな作品の中で、小品ながら異彩を放つmeimiの「NOISE」と妹尾みち子の「渇きの大陸」が目を引く。赤がきれいだ。小田倉由祈の「天壌に咲く喜び」「光るいのち」は明るく希望を語っていて気持ちがいい。今回展では小品を並べ吊り下げる作品が目立ったが、中でも杉浦あかねの「2021.1.22,私の国も!(その後)」は核兵器禁止条約を作品化した寡作だ。山賀千尋の組作品の展示はこれからもっと広がるだろう展示ワールドの先駆けだ。(百瀬邦孝)


没後50年鏑木清方展を観た

没後50年鏑木清方展を観た。明治から昭和までの生涯を網羅したかなり大規模な展示で見応えがあった。清方と言えば比類のない線の魅力にある。髪の毛から顔や手、着物の流れるような線は長い創作活動を通して洗練されていったものなのだ。初期の作品「雛市」(明治34)には物を見つけるリアルな線が見られ、これはこれでかなり魅力だ。一貫して線と線を取りまく色と起伏、着物の柄などは微妙な着彩がされていて興味深い。清方の線表現が長い年月をかけて獲得されていったことがとてもよくわかる。長く行方不明になっていた「築地明石町」が見つかり、「新富町」「浜町河岸」との美人三部作は見事だが、三遊亭円朝や樋口一葉の人柄をも描き出した人物画は出会って良かったという見甲斐がある。好きでないものを描くのは嫌いで、戦争中もひたすら女性と庶民の生活を描き続けたというからなかなかの人だったに違いない。(画像は「築地明石町」)


75回日本アンデパンダン展第1室感想

第75回日本アンデパンダン展第1室の感想

 今年は「自由で多様性のある、生きるために自身の深奥から湧き出てくる作品の良さをこれまで以上に強く打ち出し、アンデパンダン展の魅力をさらに広げていきたい」との実行委員長の展示への思いの一つとして、従来の「混在の部屋」を発展させて第1室にもってきた。

 入口から入ってすぐ鑑賞者の目に飛び込んできたのは、多彩な作品の数々であった。平面作品と共に立体やインスタレーションの作品などが創り上げた独特の空間は、ジャンルを超えて創造へのエネルギーを掻き立てるに足る試みであった。

 立体・インスタレーションの作品は、真っ白な包帯で巻かれた間地紀伊子「天の船」、渡辺柾子「痛みの矛先は」で現代を射抜き、木、鉄、布、紙を駆使して浅川光一「生命」、金田勉「サイクロザウルス」、根木山和子「Land-Scape」が生を謳歌する。

平面・半立体作品の多様さは、永年アンデパンダン展が積み上げてきた「現実を見据えた」作品(川村恵三「忘れえぬ記憶」、中橋肇「フェンス」、菱千代子「崩壊の危機」、常盤博「石棺とコウノトリ」、豊岡チエ「基地:自然と心のハカ」、いなおけんじ「再生の森」)とともに、現代という世相を反映し、自身のテーマ性を内包した作品(星河秀雄「ゴルゴタ」、首藤教之「イノチ」、中村知二「日本から『世界平和』のマニ車」、ハリマ大王国in仙台「光子78才仕事あそびとつえ2本で生きる」、石川美穂子「「つくる責任つかう責任SDGsより」、本多裕樹「月1.2」)さらに色彩や形態を自由に操る現代美術的作品(櫻井守人の11作品、今井忠「細胞」)などの中に凝縮されていた。

自体験を作品化したかとう千香子「T病院シャワールームの風景」やコツコツと丹念に描き上げた小品も見逃せない。こいけけいこ「ゴマメの『後悔先に立たず』」、原田知己「共感覚で見える音の形The FatRat-Jackpot」、碧月羽「一番星」など新鮮な表現に共感。

 

工芸作品は数は少なかったが、中川美保子、竹村清子の皮革作品、桒久保貴美子のタピストリー、瀧口伶子、白川義和の陶芸、小泉光月の編み物を使った平面立体、堀口千恵子、蘭蘭の人形、武井海の金属加工など、今後に期待したい。百瀬


パルコで美術館の小林務作品

松本のパルコで開催されている「パルコで美術館」で小林務の作品を観た。小林務氏は地元の中信美術会で知り合った若い日本画家。松本のエクセラン高校の美術教師で、創画会に出品していた。上野の森美術館の大賞や創画会賞など活躍している。今回の作品は現代の街や建物を水墨画の伝統を生かして白黒の水墨画風に表現して、新しい画風を創り上げている。意欲的な作品で日本画の概念を突き崩す挑戦をしていて魅力的だ。さらなる今後の展開が楽しみだ。

オザキユタカ個展

熊谷守一美術館でオザキユタカ個展を観た。74回アンデパンダン展に出品した「家族 、不安の中で」が若干手を加えられて展示。人物が強調されている。オザキユタカの代表作と私が勝手に思っている「家族」(1981年第34回日本アンデパンダン展)に次ぐ作品で、氏の家族に対する温かいまなざしとともに、コロナ禍の中での不安な気持ちを家族の食卓を通じて表わしている。個展には山形・米沢時代、米沢アンデパンダン展を立ち上げたころの色数を控えた若い作品や韓国の訪問で出会った豊富な色の作品も展示されている。氏の創作遍歴の一端を垣間見れる展示だ。若い頃からの空間意識が画面を超えて広げられていく様は今も創作の底流となっているように感じられる。コロナ禍頑張っている。

芳賀猛夫大型個展を観た

 コロナ禍の中、埼玉県立近代美術館で芳賀猛夫さんの大型個展を観た。私たちの地平展を行っている地下第一室の広ーい会場が命溢れる作品の緊張した空気で満たされていた。巨樹と生命、フクシマの牛の生きる意義、世界の明暗を分ける分水嶺、そして私たちが「超えなければならないこと」を問いかけている。この理不尽で耐えがたい社会にあって、私たちは何を見据え、どう生きていったらいいのかを。

 ベニヤのパネルにそして段ボールにへばりついた絵の具の重なりが、人や動物の悲哀と生きるエネルギーを突き刺している。芳賀猛夫という穏やかな人柄に包まれた内心には、こんなにも激しい魂が宿されているのだ。そんな大作の合間に描かれた「遊」や「光と闇」(闇-画像右)の小品も説明の必要のない心地よい画面を見せてくれた。久々にガツンと頭を殴られたような気持で会場を後にした。

アンデパンダン展の作品へのコメントをいただきましたので掲載させていただきます。

百瀬邦孝の絵画「夕べの空」は、土とともに生きてきた人へのオマージュ。夕暮れの光の中、ヤギをひく老人の後ろ姿に人生の来し方を活写している。背中は寡黙だが、自身を見つめるまなざしは強い。私はこの人を知っている。ながく地域を下支えしてきた人だ。こういう人が鬼畜に入るようになって、日本の社会は急速に壊れていくようになった。早川明利 第74回日本アンデパンダン展「批評と感想」誌より

山崎康子の世界展

職美やアンデパンダン展、諏訪地方のサークルで頑張っている山崎康子さんの大規模な個展「山崎康子の世界展」を観た。2003年から今年までの150点あまりが茅野市美術館に展示された。2000年一けた台の人物を中心にした表現から、自然の鼓動、生命の息吹への2010年代、その後現在に至る色と音の世界への変遷がよくわかる展示となっていた。山崎さんと言えば「色」の魔術師だ。青と赤と緑のハーモニーが、人物表現からの表現から脈々と続く。時としてそこに黒が基調になり、白に基調が変わり抽象化してきているが、その原点は何と言っても見つめ続けた人物表現にあると言える。左の図「画学生」はその若々しいエネルギーがみずみずしい色合いで表現されていて希望を感ずる。これから先、どのように変遷していくかわからないが、このみずみずしさをいつまでも私たちに届けてほしい。

山口ひろ個展

コロナ禍で自粛の続く中京橋のギャラリーソレイユで山口ひろさんの個展を拝見してきた。やはり、実物に出会うと様々な創作イメージが刺激される。やはり創作者は表現し、発表し、鑑賞することがないとすべての感覚が鈍ってしまう。そういう意味で、久しぶりの展覧会で自分の心が晴れた感じだ。

山口さんの作品は、写真をPhotoshopで加工し、プリントアウトするもので、いろいろ試行錯誤を積み重ねながら、次第に洗練され、山口さんならではの高みに登ってきたようだ。作品の一つ一つから完成度が感じられる。画像をどう加工するか、どう彩色するか、

そもそもどの画像を使用するのか、その過程過程での選択が質を左右する。この高みを踏まえてこれからどう発展していくのか、乞うご期待だ。

川端龍子展

長野市の水の美術館で「川端龍子展」を観た。川端龍子は戦前に生まれ。院展の会員になるが、退会して青龍社を結成し、戦後も37回まで開催した。龍子の死とともに青龍社は解散した。画壇でのかなりのやり手を想像させる。筆使い、墨や金銀、岩絵の具の生かし方が巧みであり、「会場芸術」という大作主義は現代的ともいえる。戦時中は画家として従軍し、戦後戦争協力を批判されもした。終戦の2か月後に描いた「爆弾散華」という作品は、戦争の惨禍で草花が飛び散っていく様を描いていて、戦争による心の揺れが感じられるが、あの時期に200号近い作品を描くことが出来たということは、従軍画家としてかなりの優遇があったのではないだろうか。戦争と美術についてあらためて考える機会にもなった。(図版は「草の実」1931年)

横山華山の現代に通じる人物表現に感動

横山華山、ステーションギャラリーでのこの絵師との出合いは感動的だった。実は初めて聞いた人だった。それもそのはず、最近浮世絵研究家の永田生慈氏が20年ほど前から関心を持ち始め、北斎研究の傍ら調査研究を積み重ねてきた人物で、作品のいくつかはボストン美術館など海外にあり、最近注目され始めた画家だ。江戸末期曾我蕭白の弟子で京都画壇で活躍していた絵師だ。画壇の潮流に左右されず、自由な画風や筆使いで、人物、動植物、風俗画など広い分野で、その分野に合わせて画風を自在に変えて描き分けていったという稀にみる絵師だったようだ。NHKでは30メートルの祇園祭の絵巻を主に紹介していたようだが、この風俗画もさることながら、実に力強く人の手足隅々に至る表情溢れる人物表現、カラスや亀、トラなどの生命感あふれる繊細な表現には、どうしたらこうした線がえがけるのだろう、と感嘆してしまった。自由奔放な表現といっても北斎の線ともちょっと違った現代に通じる人物表現だ。この作品は「四睡図」で、寒山拾得と虎と仙人が睡魔に襲われている。何気ない手首の動作がこのけだるさを絶妙に表している。

応挙、芦雪、蕭白、蕪村、若冲、北斎などに加え、江戸の中期から後期にかけて活躍した絵師たちの生きざまと表現に触れ、ここに学ぶべき多くの事が秘められていることを再発見した出合いだった。

 

 

72回日本アンデパンダン展私の「全体評」

作品に込められた思いを見つけようと

 

「アンデパンダン展が期待する作品」をめぐって、昨年来様々な議論が行われてきたこともあって、改めて「アンデパンダン展ってなんだろうか」という問いかけが続いている。
私の考えは「アンデパンダン展が期待する作品」というものはない。なぜなら、アンデパンダン展が無審査・自由出品である以上、どんな作品も「期待する作品」であるはずであるからだ。ただ作品の「好き・嫌い」や「描き込みの濃さ・薄さ」など、評価はそれぞれの責任において当然ありうるから、それをもって「期待する・しない」と混同することは議論を混乱させることになるのではないだろうか。もう一つアンデパンダン展のもつ特徴がある。これは他の画壇などとの比較で、「権威的でないこと」や「平和と自由を求める人たちの作品が多いこと」「時代を反映した作品が多いこと」などであるが、これはアンデパンダン展の歴史からくる「大きな意味でのくくり」であって、作品の一つ一つを規定するものではないはずである。であるから、すべてが「期待する作品」であり、そこで最も大切なのはすべての作品を受け入れ、理解に努め、自由で率直な意見交換をすることなのではなかろうか。そしてその率直な意見交換(言い合い)もまた創作の向上に向けお互い忌憚なく受け入れあうこと、いろんなことを言う(言ってくれる)人がいていいのだ。
そんな思いを引きずりつつ、今回は「作品に込められた思い」を見つけようと巡ってみた。佐藤瑞江子「椿の記憶」はおそらくまだ幼いころの悲しい記憶ではなかろうか。椿の赤い花を見るたびに記憶の片隅からよみがえる「あの風景」なのだ。これから何が起こるかわからない自分にとって、それは今描き留めておかなければならない「記憶の風景」なのだろう。川村圭三「父の像(兵士)」「母の像(望郷)」も今描き留めておかなければならない記憶なのだろう。そして過去だけでなく「未来に対する思い」は、小池美紀「未来」「真実」の黒い画面に込められた汚れない眼線から突き刺さるように感じ取ることができる。丸浜晃彦「さすらい人」はそうした過去や未来への思いを抱き込んだ一人の男の背中が、黒雲の空の下、広大な大地に向かってさすらっていく姿を通して人間愛を滲み出させているようだ。
もちろん今の世相に対する数々の「思いの作品」を真摯に受け止めつつ、それだけではない作品一つ一つに込められた作者の「思い」を見つけていくことは、私にとって改めて新鮮なアンデパンダン展の鑑賞でした。

建仁寺の風神雷神図屏風を観た

和歌山に出かけた際、少々時間があったので、京都で下車し建仁寺に行った。建仁寺は京都最古の禅寺で、栄西禅師が開山したお寺だ。俵屋宗達の真筆「風神雷神図屏風」(国宝)や海北友松の「雲龍図」(重要文化財)がある。どちらも高精細デジタル複製のようだが、その筆遣いや筆の運びが見て取れて、なかなか見ごたえがある。金箔の張り具合もちょっとはみ出たところもあって観ててあきない。海北友松の「雲龍図」「竹林七賢図」などの襖絵はなかなか見事だ。墨の濃淡が激しく迫力溢れる画面に目を奪われる。法堂の天井画にも昭和二年小泉淳作による「双龍図」があるが、海北友松の龍とは段違いで、漫画っぽくていただけない。

第71回日本アンデパンダン展15室批評と感想

 15室で目を引いたのは宮本能成の「地」。大地に根づく大木とそれに連なる山々と林の表現が造形的で美しい。木の幹に貼られた金箔と紫の岩絵具のコントラストが木肌を効果的に表現している。太陽と月は必要か? 昨年に続き今年も鮮やかな水干絵具の赤と青による人物像を描いた大窪萌木の「生きる」は、若者の心の葛藤と未来を見据える表現として新鮮だ。堂上哲也の「胎動」は原爆ドームを取り巻く様々な人々の願いと想い、運動と連帯を描いた150号の力作。薄墨の太めの線が美しくエネルギッシュ。少々の「倣檀園群蛙図屏風」、中津川ヒロ子「夢降る日」、跡地瑞枝の「久遠」、小田倉由紀も健在。鈴木裕子の「ねぎぼうず」はねぎの瑞々しい生命力が素朴に描かれていて好感のもてる作品。回りと遠景の表現にひと工夫が欲しい。深山歳秋の「樹」も画面前面に描かれた大木の幹と根、深まりゆく林の中の情景が丹念に描かれていて見ごたえのある作品。武井大拙の「前穂の北尾根」は墨による大作。荒々しい山肌を墨の濃淡で描いていて力強いが、やや筆跡が気になる。小品だが佐藤夏子の「利根川上流ダム」の構図の面白さ、渡部文子の「肥後甲佐岳」の深みのある色合いなど目にとまった。

鹿野裕介展「ハジマリノオワリトオワリノハジマリ」を観た

鹿野裕介くんは、明星大造形芸術学部の卒業生。現代美術家。2013年と2014年の二回、在学中に日本アンデパンダン展に出品して注目した人だ。その後音沙汰がなかったが、今回の個展に案内メールが来たので出かけた。その後卒業して造形会社のようなところに就職して創作活動を旺盛に行っていた。昨年は銀座で「生存のプログラム」という大胆な個展をしていた。「ビエンナーレOME」では特別賞を受賞。インスタレーション、立体作品、平面作品などさまざまな作品を製作。学生時代の作品からずっと見せてもたったがその活躍はとどまるところがない。頼もしい限り。今回の作品で目を引いたのは土だ。黒土とボンドを使って盛り上がる土の魅力。他にも実に何でもアリの創作の宝庫。素材を素直に受け入れ柔らかい頭で造形化していく数々の試みに創作のエネルギーをもらった。

 

「雪村展」を観た

 芸大美術館で「雪村」展を観た。雪村は室町時代後期の画家。なんと500年以上前に描かれた作品で、確かに画面が真っ黒になっているものが多いが、よくまあこれだけの長期保存されていたものだ。しかも残存する作品は200を超えているというから、ますます驚きだ。雪村は奇想の画家と言われている。見上げた姿の呂洞賓図や布袋図、琴高仙人など奇想と言えば奇想ではあるが、むしろ今回観た限りでは、自然描写の卓越さが目に付いた。自然を取り巻く雨・風・雪・光・月・水・雲・山・岩など様々な表情が実に鮮明に伝わってくる。中でも木々の表現が実に素晴らしい。風涛図の強風になびく木、竹に鷺図の竹、山水図の岩場に生える松林などその観察眼と筆さばきは見事だ。雪村は雪舟の弟子でもなく、特別誰かに師事し、学んだ記録はないようで、中国の牧谿などの作品を鑑賞・模写などをして学んだようだ。茨城・宮城・鎌倉などを行き来し、東北の地三春で終焉を迎えたと言われているが、500数十年前のその人生に思いを巡らせ、その時の流れと作品が残ることの偉大な歴史的な出来事に感嘆

第70回日本アンデパンダン展を観て

16室                          百瀬邦孝 

16室は日本画と工芸だが、今年は工芸が極端に少ない。何故だろう。工芸に向き合う環境が日常生活の中で難しくなってきているのか。大変な中でも是非頑張って欲しい。瀧口伶子の「あぁ忙しい」はあまりの忙しさに二つの注ぎ口のある急須を開発、倍のスピードで乗り切ろうと、そんな大変さを楽しさに変え、大量の作品を出品した。日本画では、小田倉由紀の瑞々しい感性が赤と黒と金の強い色調と合わせて見る人に強く迫ってくる。「記憶」も「紅い花」も芯から周辺に向かってエネルギッシュに広がっていく。若さ満ち溢れる力作だ。同じく赤と黒を基調にした作品が、跡地瑞枝の「穹」だ。黒い空間に赤い羽根が浮いている。穹の音読みはそらだが、このそらは何とも深淵な憂いを広げている。漂う赤い羽根は何を象徴しているのだろうか。人の心か魑魅魍魎か。もう一枚の「錦秋爛漫」は爛漫というほどではないが、秋の色づく葉っぱ。どちらもしっかりと描き込まれていて重厚な画面を作っている。中津川ヒロ子の「夢路」は今年も沖縄の明るく強烈な色彩の自然を画面いっぱいに描き込んでいる。この人ならではの色彩のハーモニーが自然の起伏、奥行きとともに豊かに表現されていて飽きさせない。少々こと渡部正俊の「動物園-安倍政権礼賛」は〝ええじゃないか“のリズムに合わせて、動物たちにたっぷりの皮肉を歌わせている。昨年の「驢馬図」の世相批判に続く水墨画版カリカチュアだ。そして、中田耕一の「再生エネルギー」は670cmの大画面に再生工場のある港の情景を克明に描いている。全面展開の分、焦点を絞りきれなかった感があるが、圧巻だ。

 

 

「日本画の教科書-京都編」展を観た

山種美術館で「日本画の教科書展-京都編」を観た。次回が東京編で、その全てが山種美術館コレクションだから、何とも羨ましい限りだ。

京都編は川合玉堂、竹内栖鳳、土田麦僊、菊池渓月、福田平八郎。山口華陽、小松均、上村松園等、文字通り教科書的代表作品が展示され、総花的な感は歪めない。が、京都画壇の特徴がそれなりに現れていて楽しく観れた。中でも竹内栖鳳の仕事は改めて目に焼き付けることができた。そういえばまだ大学を出てすぐの頃観た「竹内栖鳳展」は今でも印象に残っている。竹内栖鳳は明治から大正・昭和にかけて京都画壇の巨峰であるが、その作品は実にいきいきと脈打っている。自分の画風を固めずに常に新しい画風を求めている。栖鳳の栖は西洋の外遊旅行の後、それまでの棲鳳を改めたというから、かなり柔軟な思考の持ち主だったに違いない。加えて円山応挙の流れを汲んでいることもあり、自分の目で見る写生を徹底的に重視したことは、幾多の作品によく現れている。しかも、栖鳳は題材に身近なものを取り上げており、生活感や季節感が見事に表現されている。「斑猫」は旅した時にであった猫を無理言って貰い受け、自宅で写生し続けて描き上げたという有名な逸話がある。「憩いの車」も「晩鵜」も鵜の描写が実にリアルだ。「写実に徹して対象を空間から限るのでなく、対象は空間と呼応しなければならない。対象は空間から切りとるのでなく、空間におかれるものなのだ。」という、栖鳳の日本画の空間認識は含蓄のあるところだ。(2/5まで、2/12からは東京編)

 

「日本画の教科書-東京編」展を観た

 京都編を観たので、東京編も観ておくかという感じで見させてもらった。私の私見ではどうも東京の日本画はどちらかというと洋画っぽい感じがする。それに空間表現が平面的な感じだ。東京での画壇の影響なのか、あえて京都と東京を比較する必要もないのだが・・・。今回もうひとつ感じたことは「朦朧体」についてである。従来の線を使った日本画を新しい表現方法をさぐるということで、大観や春草などにより研究された表現であるが、一定の挑戦的意味がなくはなかったが、どうも画面を弱くしているのではないかと、改めて感じたのである。そもそも、表現方法はその題材や表現内容によって必要な表現方法が選択されてしかるべきで、○○体とか、○○方式などというのはじゃまなのではないかと思うのだ。線をなくすことにこだわるべきではないし、線を必要としない表現が必要であればそうすればいいのだろう。線はやはり画面を強くする。

 今回もまた「教科書」ということで、やはり総花的展示であったが、川合玉堂の「早乙女」、鏑木清方の「伽羅」、奥村土牛の「鳴門」、前田青邨の「腑分」など、いつみてもいい。今回初めて見た渡辺省亭の「葡萄」は小品だが目を引く作品だった。(4月16日まで山種美術館)

 

円山応挙-「写生」を超えて-展を観た

1994年に大規模な「円山応挙展」があったので、それと大分重複してはいるが、今回の根津美術館の展示は「写生」に焦点を当てていて、応挙の写生帳の展示が充実していた。それに、「七難七福図巻」が興味深かった。七難の図は「明和」時代の作品であるが、地震や津波の図は、江戸の大地震を目の当たりにしたと思える臨場感あふれる作品だ。加えて今回の展示は、個人蔵の作品が多く、今まで見ていない作品も多かった。左の作品は京都国立博物館の有名な鯉の滝登りの図-なんとシャレた作品か。右は猿が柿の木に残った一つの下記を二匹の猿が奪い合おうとしている図(個人蔵)だ。。「この作品は誰が持っているんだろう。羨ましいものだ」と思いながら観る。猿の表情としぐさが実に楽しい。こんな瞬間を瞬時に捉えて…まてよ、-おそらくこの場面は現実に目の前であったことではないのではないだろうか。おそらく柿の木に残った一つの柿を見て猿の姿を想像したのではなかろうか。応挙の写生は猿の生き様や動作が実にリアルに表現されている。それは猿の写生を繰り返す中で養われた猿そのものの把握(自分のものにしてしまう)なのだ。応挙は様々な対象物を上から下から斜めから横から…そのものを丸ごと捉えて、作品にする際、それを自由に作り替え表している。写生とは見て描く-見ながら描くことではなく、対象を丸ごと捉えることなのだ。応挙の写生はそれまでの狩野派を中心にしたお手本を学ぶ創作方法を自分の目で見た創作方法に徹したところに「写生」の画期的なところがあったのではあるが、その創作方法にとどまらずに、現代に通ずる写生の本質にふれる展覧会だった。

 

軽井沢で金田勉個展を観る


 軽井沢の追分宿にある油屋で金田勉さんの個展を観た。金田さんの作品は自由で実に楽しい。そして考えさせられる。というのも、金田さんの作品づくりは二通りの方法がある。一つはあらゆる材料、例えば古くなったタイプライターとか自転車とか、いらなくなった給食のスプーンとか、ありとあらゆるものが蓄えられていて、それが見事に変身する方法。料理に例えるならば、冷蔵庫の中に余っているものを見て、食事を作ってしまう方法。もう一つは、表現するテーマに合わせて、材料を吟味・確保し、そこに命を吹き込む方法。料理に例えるならば、レシピに沿って材料を確保し作りたい料理を作り上げる方法だ。そのどちらも金田さんならではの機知とアイディアに満ち溢れている。そのために金属の切断から穴あけ、溶接などの道具を使いこなすスーパーマンだ。

 上の動物たちは、「鳥獣戯画」ならぬ「鳥獣戯刻シリーズ」だ。サドルのスプリングがカマキリ君に、湯たんぽがアリクイ君に、タイプライターのキーがムカデ君の足に、給食のスプーンがカバ君に見事変身するのだ。しかもそれらの動物がかなりひょうきんで愉快なのだ。このヒラメキというか柔軟な思考というか、なかなか真似できない素質の持ち主であるのだ。 

 一方、沖縄を扱った「無くなった人間」や、せんそうや原発の人災を刻んだ作品群は今の現実を鋭くえぐり出し、心に突き刺さる秀作の数々である。その本質に向かって刻み続ける姿勢は学ぶところが多い。

 本当はどちらが造りたいの?と問うと、「両方」と言う。その両方の緊張と弛緩のバランスが彼の創作を支えているのだろう。


平和美術展を観て

第64回平和美術展 第4室~6室を観て

 会場を通じて作者が様々な不安に直面しそれを作品化しようとしていることが、作品を通して率直に伝わってくる。その不安は社会的なものであったり、自然環境に関わるものであったりするが…。新海進の「扉は開いた」は、戦争という亡霊が歴史の逆流の扉(あえて卍はなくても十分伝わるが…)を開こうとし、今すすめられている戦争への道を警告している。沖縄の現実は私たちにこの不安を一層駆り立てる。中橋肇「フェンス」、岡村由美子「美しいくに」、井川雍子「辺野古-消えない色-」などは辺野古の海を破壊しての米軍基地建設に抗議し、渡辺柾子「沖縄を想う」は乳母車を引く若い母親の背後に迫る沖縄の日常の不安をモノクロの色彩で見事な形象化に成功している。この帽子と髪の毛をもった母親像は作者の象徴的人間像として記憶されるだろう。自然環境への不安で、桐生明夫「時間の止まった街(富岡町)」が東北津波災害と原発事故の風化を止め、常盤博「石棺とコウノトリ」はチェルノブイリの惨禍と人類・生物への愛を描き続ける。とりわけ今回の「石棺とコウノトリ」は従来の「形」を脱し、鋭い切り込みと黒い刷毛の跡を使って、見えない放射能の不安を描こうとしているように見える。こうした様々な不安を、美濃部民子「都市伝説-危うき日常」は都市が抱える深刻な不安としてその危うさを感じさせている。巨大なビル群やモニュメント、道路や標識、都市を造り上げている全てのものが、ひとたび戦争の惨禍に突入したら、ひとたび地震や原発の災害に遭遇したらどうなってしまうのか、私たちの日常は限りない破壊の連鎖に落ち込んでいくことを鈍い色調を通して投げかけている。
 そんな中で、明石武美は「生きもの、皆同じ!」と叫んでいる。カブトムシもアリもミミズもコガネムシも、また、ナスやトマトもキュウリも、みんなみんな同じような「ゲノム」を持っていて地球に生きているんだと。表現はやや説明的で造形性に欠けるが、想いの込められた作者の生き物賛歌メッセージは明瞭だ。小堀義廣「明日のためにがんばろう」、片岡利朗「春に」「春へ」、遠田悦子「出発を待つ」、佐藤かつのり「MAY DAY on Blue Sheets」も今を生きる人間賛歌だ。
 この他にも、会田利迪「生物」、和田エイ「根室」、蟹江恵三「足を開く」など、じっくりと心に迫る佳作だ。櫻井守人の5連作は墨と色彩が美しい意欲作だ。墨をつけた紐を引っ張って描かれた墨の跡は題名にもあるように様々な世界を想像させる。色も“塗る”ことを超えて“描く”ことで一層の深い世界を作り上げていってもらいたい。

「画家・新海覚雄の軌跡」展を観て


府中美術館で「燃える東京・多摩-画家・新海覚雄の軌跡」展を観た。新海覚雄と言えば、戦後日本美術会の創立に関わり、48歳の時には日本美術会の事務局長を努めた私たちの大先輩だ。やはり大先輩の箕田源二郎さんなどとともに、戦後の美術運動を牽引した人物として美術史に刻まれている。府中美術館学芸員の武居利史氏の意欲企画として今回この作家に光を当てられたことの意味は大きい。実は今回チラシに「構内デモ」(写真右)が大きく掲載されたことから、府中市の方から「偏向しているのではないか」との指摘があったが、氏の努力で何とか開催にこぎつけた経過がある。画家の創作内容にまで「偏向」のレッテルを貼ってくるなど、現在の危険な社会的方向の自主規制的反応であるが、許せないことである。

 新海覚雄は、戦前は大正モダン・写実的な作風で太平洋画会や二科展などに出品し、新進気鋭の作家として登場した。戦争中は大東亜戦争美術展にも「貯蓄報告」という戦時下の郵便局の労働者をテーマにした作品も描いている。戦前から内田厳や岡本唐貴らと交流があったこともあって、戦後すぐの日本美術会の創立に参加する。以降社会的リアリズムに目覚め、社会の現実を絵画の目を通して見つめていく。第6回日本アンデパンダン展に出品された有名な「独立をしたが」(1952)(写真左)はサンフランシスコ条約で形だけの独立を手に入れたが、依然として半占領状態にある日本をアメリカ軍人の遊ぶ姿と飢餓と貧困の少年の姿を対比して描いている。その後も内灘闘争や砂川闘争、三井三池闘争、安保闘争や総評など様々な労働運動などに関わり戦う人物像を描き続けた。ルポルタージュ絵画というジャンルを打ち立て、戦いの前線で描くことをやめなかったが、それは戦いのための絵画ではなく、戦いを励まし戦いから学び、絵画を時代の生き物として高めていく「価値の創造」を求めての歩みだったと思わせてくれる貴重な軌跡だ。改めて”描く”ということの意味を考えさせてくれた展覧会であった。(9/11まで府中美術館)

 

彫金の至高 岡部昭回顧展


 岡部昭さんの「彫金回顧展」を観た。広い会場に所狭しと展示された彫金の数々は、岡部さんの人生の歩みそのもの。ブナ林を通す光の透明感と木々を揺らす風の爽やかさ、そこに咲く花花やそこに生きる鳥たちや蝶たち。そしてブナの木の硬い幹と枝々が作り上げるステンドグラス。長野の木島平のブナ林との出会いがその後の創作を決定づけたと言う。往年50歳頃のことだ。たたいて、削って、切り抜いて、磨いて・・・真鍮の板を自在に加工し、ブナ林の自然と生き物の命を吹き込み続けて40年、父親も彫金家だったとはいえ、独自の技を編み出したその蓄積は誰の追随も許さない至高の技だ。日展の工芸部に属していたが、レリーフ作品の写実的傾向が受け入れられないことにより退会、その後工芸の分野での空間表現の追求が変わらぬテーマとなっているという。90歳を超え、まだまだ彫金という体力勝負が続く。(2016.6.19)

 


第64回飯田アンデパンダン展を観た

 長野県飯田で開催されている「第64回飯田アンデパンダン展」を観た。昭和30年から始まってもう64回を数えた。昭和30年は実行委員長の菅沼立男さんが、東京から飯田に移り住んだ年だそうだ。当時勢いの良かった美術家たちがこの地で民主的美術運動の旗を揚げた。創立者たちは今はみんな70を超え、壮年の域を超えているが、まだまだ元気に絵を描き続けている。東京のアンデパンダン展でもなじみのある懐かしい名前と出会った。松下拡、城田一行、光沢正子、中平拓、原東彦、菅沼立男・・・氏ら。

 松下さんの「生きることの尊厳を」シリーズ1-6は長年連れ添って生きてきた夫婦の今の日常の姿を描いて、必死で生き抜いてきたことへの賛歌を唄っている。デッサン風の表現ではあるが、じっくりと語りかけてくる重い作品だ。代田さんの「限界集落の夜」は山の奥に点々とある集落を俯瞰的に描いた作品だ。深い緑に包まれた家屋の一軒一軒にきっとひっそりと生きている年寄りが今も暮らしているに違いない。この先どうなるか見通しはないけれど、それでも今を生きているかけがえのない人生に寄せる温かい視線がある。光沢さん、中平さん、原さん、菅沼さんの信州各地の風景は季節感あふれ、この地に住んでこの地の風の中で生きてきた者ならではのさわやかな空気を感じさせてくれた。

 そのあと、菅沼さんが自宅アトリエに誘ってくれた。ヒマラヤスギや灌木の木々に囲まれた自然豊かな自宅には、過去の記憶を呼び覚ます作品が飾られ、所狭しと制作中の作品が並んでいる。積み上げられたキャンパスに、「あれは今までの作品ですか?」と質問したところ、「いや、地塗りしたキャンパスですよ」とのこと。いやー、これからまだまだ山のようなキャンパスを使い切るエネルギーいっぱいの姿に感嘆の一時でした。(2016.5.24)

 


ラグーザ「日本婦人」の感動

芸大のコレクション展でヴィンチェンツォ・ラグーザの「日本婦人」に出会った。国立博物館のブロンズ像(写真右)が知られているが、芸大所蔵(重要文化財)の石膏像原型はその質感といい、醸し出す空気といい、何とも言えない感動を呼び起こさせてくれた。ラグーザ明治13年の作で、和服と頭に手拭いをかぶった明治の日本の女性像を表現したものだが、封建的なごりの中、ひたむきに生きる女性の秘めた美しさと未来への希望を感じさせる像でしばらくその前でくぎづけになった。写真ではなかなかその表情が掴み取れないのが残念だが、目の奥に焼き付けられた感覚を大切にしておきたい。(2016.5.3)

 



69回日本アンデパンダン展雑感(13・14室を見て)

 日本画で、昨年100号と50号の意欲作で登場した小田倉由紀が今年は小品ながら充実した仕事を見せてくれた。「天壌の夢Ⅰ」「天壌の夢Ⅱ」は大地に生きる生き物たちの表現がみずみずしく躍動している。私たちの生きる大地はこんなにも豊かなのだとあらためて感じさせてくれる作品だ。そして、今年大作で登場したのが大窪萌木「Day Dream」だ。月山だろうか、空に突きあげる山の頂を前に空を見上げる自分の姿が描かれている。金箔を模した空の表現に難があるが、山肌とその前に広がる草原・人物表現が良く描きこまれていて、未来への希望と不安の入り混じった感情に溢れた力強く若々しい力作だ。どちらも様々な表現方法を模索しながら、これからも若いエネルギーを画面にぶつけていってほしいと願う。めずらしく人物表現に挑戦した中谷小雪「春の仕事」は雪解けを待って田んぼに鍬を入れる農夫の姿が新鮮だ。画材との格闘の跡も見てとれるが、さらに表現の幅を広げていってほしい。人物表現では中田耕一が「修理①・②」で船の修理と網の修理をする人物を扱っている。漁港の情景の中で働く人物が素朴に表現されていてやさしい。鈴木裕子の「母」は丁寧な表現で母の人柄をひかえめながら深く描き出している。日本画以外で目に留まったのは、吉田雅子の「再開を待つ鉄路・浪江駅」「除染を重ねて・福島」。奇をてらうことなく福島の現実をそのまま素直に見て、表現しているところに観る人に何かを感じさせる〝心“があるようだ。(百瀬)

 


藤田嗣治「戦争画」を観て

 私はそもそも、戦争画は嫌いである。が、この度、戦後米国から無期限貸与となった藤田嗣治の「戦争画」がまとまって(戦争画が14点、その他が10余点)展示されるということで、半ば義務的に足を運んだ。というのも、私の所属する日本美術会は、戦争の反省から出発し、その当初美術家の戦争協力(戦争画)の告発を行い二度とこうした役割を担わないと誓った歴史を持っており、藤田嗣治とのやりとりも含め、今もって論議となっている問題であり、この目でシカと観ておかねばならないと思ったからだ。以前にも何枚かは観る機会はあったが、全14枚をまとめて観ることで、部分でない「藤田像」を自分なりに描くことの手助けとなったことは間違いない。

 最近も、戦争協力について「藤田擁護論」も台頭してきており、その底流に藤田戦争画の芸術性を見直す流れがつくられている。果たして藤田の戦争画は戦争を煽って描かれたのか、戦争の悲惨さを表したかったのか。結論的には軍部や当時のマスコミの意図も大きく絡んで、戦意高揚のために描かれたものであることは間違いないところだ。「アッツ島玉砕」や「血戦ガダルカナル」「サイパン島同胞臣節全うす」などの、いわゆる悲惨な表現はいろいろ議論のあるところであるが、「武漢進撃」や「12月8日の真珠湾」など、明らかに戦意高揚を狙ったものであることは明らかである。では、問題の「アッツ島玉砕」などの悲惨な作品は果たして戦意高揚を意図したものであるのかどうかである。藤田の絵は必ずしも戦争協力画ではないとする論者はこうした絵がむしろ戦争の悲惨さをあらわしたのではないか、と論ずるが、果たしてそうなのだろうか。今回の展覧会を見ておかなければならないと強く思ったものがここにある。今回見ての思いは、一つに、こうした「悲惨さ」も戦争鼓舞の役割を果たしていたのではないかということである。「玉砕」や「同胞臣節全うす」などの表現は、本土の人たちに「現地では兵隊の皆さんはこんな中で戦っているんだ。こうした犠牲を無にしないよう私たちも全てを犠牲にして戦わなければならない」との思いを植え付けるには十分な役割を果たしたのではないだろうか。ひいては、現地で玉砕した大将を「軍神化」させ一層日本全土を廃墟に進ませる役割を担ったと言っても過言ではないように思えるのだ。そればかりでなく、今回見てのもう一つの感想は(ここがかなり重要に思えるところだが)、むしろこれらの絵から、指摘されている「悲惨さ」を感じないことだ。たしかに殺し合いや全滅などの悲惨な「状況」を描いてはいるが、悲惨さも怒りも伝わってこないのだ。つまり、その場面を描いてはいるが、肝心なその中身を描いてはいないのではないのだろうか、ということである。藤田はこれらを描くに当たり、現地取材は一応しているが、玉砕や全滅の場面にいたわけではない。そこは、想像である。もちろん絵画であるから想像であることは当たり前のことなのだが、想像というより、展示の一部解説にもあったように、過去の絵や写真などから、かなりの部分を引っ張ってきているのだ。動機はむしろ、戦争への高揚でもなければ厭世でもなく、過去の名画の群像たちのように、この戦争画をチャンスとして再現したかったのではないだろうか。今までも何人かの評論家に指摘されてきていた「スリオート族の女たち」や「民衆を率いる自由の女神」や「レフカス島のサッフォーのサッフォー」などの名画を。 戦争画と過去の名画の群像と同列に位置づけようとすることには所詮大きな無理があるのではないか。だからといって、戦争協力画ではなかったというわけでもないわけで、戦争画をチャンスにしようとしたことも含めて、軍部やマスコミなどの戦争鼓舞と一体の姿は否定しようもないだろう。

 今回見た主な感想は以上のようなものだが、この機会に直接自分の目で見た「藤田絵画」「藤田像」は果たしてどうなのか、いろんな人たちの意見と摺合せしたいところだ。(2015.12.10)

 

西郷狐月  「月下飛鷺」 
西郷狐月  「月下飛鷺」 
西郷狐月  「月下飛鷺」 
西郷狐月  「月下飛鷺」 

落葉
落葉

「橋本雅邦と幻の四天王」展を観て

 松本市美術館で思わぬ展覧会を観た。院展の創始者たちの「橋本雅邦と幻の四天王」だ。その中の西郷狐月が旧松本藩士の長男だったこともあり、上の「月下飛鷺」の二枚の連作は松本市美術館蔵の作品で、狐月にからめて、横山大観・下村観山・菱田春草の四人を構成したものだ。狐月は東京美術学校の第一期生で将来を嘱望されて橋本雅邦の娘と結婚したが離縁したため、美術院と距離をおくようになった。例の茨城の五浦には参加していない。上の「月下飛鷺」はその頃の作品で、二枚の連作は月明かりの進行と暗がりの深化で時の経過を表し、狐月の憂い溢れる心情を映し出していて心を打つ。 この展覧会で狐月を再発見した思いだ。

 菱田春草の「落葉」は二回目の出会いだが、巧みに描かれた木立に広がる落葉がカサカサと音を立てて散りゆく情景が何とも心地よい。学生時代からこの絵を見ては色と空間のさわやかさに気を取られていたことを思い出す。ただ、改めて今回見て、以前にもまして装飾性が強く感じられ、長谷川等伯の「松林図」のような強さに欠けるように感じたのは、春草36歳で亡くなる病身からくる所以なのだろうか。

 展覧会全体に非常に墨が美しい。学ばなければと痛感。

 明治の初期のこの時期の日本画は、まだ江戸時代の狩野派の作風が根強く残りながらも、新しい作風を模索しつつ写実性と装飾性を融合させていった貴重な時期であったのだろう。

 



画鬼暁斎展を観て

またまた心ふるえる展覧会を観た。川鍋暁斎の展覧会だ。川鍋暁斎と言えば骸骨や幽霊など、異色な画家のイメージがあったが、とんでもない。狩野派の技法をマスターし、鳥獣戯画も雪舟を己のものにし、宮本武蔵や葛飾北斎も顔負けの筆さばきは見事なのだ。徹底した写生は、物を描くというよりその物をとりまく時間と空間を具体的事物を通して描く様は驚きだ。金魚と遊ぶ小童図というのがあるが、後ろの方に繋がれた亀が逃げ出そうと首をもたげている様子が描かれている。この小童が今まで何をしていて、どんなワンパクな遊びをしていたのか想像するだけでも楽しい。上の鯉図もそうだが、単なる鯉を描くのではなく、鯉の様々な姿態とともに、藻や川エビ・小魚など川底の様子が実にリアリティをもって描かれている。また、下の美人画を観てその現代的感覚に驚く。いわゆる美人画全盛の中で、作られた美人画を拒否し、自らの感ずる美人画を描く様は、コミカルなカエルたちを加えて暁斎ならではの世界を描ききっているように感銘を受けるのだ。(東京・三菱一号館にて開催)



田能村竹田展を観て

江戸の末期池大雅、与謝野蕪村等と時期を同じくして活躍した田能村竹田展を観た(出光美術館)。いわゆる文人画として中国の水墨画の影響を受け、日本的な風景と風俗、動植物を描いたものが多く、独特の筆さばきが当時の文人画の特徴をよく伝えている。絵を取り巻く空気が実に日本的だ。



「若冲と蕪村」を観て

生誕二百年「若冲と蕪村」を観た。久々の感動だ。作品を前にして蕪村と若冲の息遣い、運筆の筆音が聞こえるようだ。そして、画面からあふれ出る心地よい緊張感だ。同年代の二人を並べて見ることができたことで、二人の特徴がより鮮明になったように思えた。若冲と言えば鶏などの細密で極彩色的な作品が特徴的だったが、今回展の墨の作品から感じたのは非常に装飾的な筆使いが目立っていたことだ。一方、蕪村は「奥の細道」に見られるいわゆる俳画的な奔放な作風をその人物と重ね合わせていたが、今回展の作品から感じたのは非常にリアルな筆使いで、若冲と好対照であったことだ。筆先の動きが対象を的確に捉え、必然的な筆跡を表出することで対象を描き出していることがその存在感を伝えてくるのだ。表現とは何かを考えさせてくれた収穫ある展覧会であった。

雪と月と花・国宝「雪松図」と四季の花展を観て


三井記念美術館で「雪と月と花-国宝「雪松図」と四季の花-」展を観た。肝心の「雪松図は後半の1/4からの展示で、前半はレプリカが展示されていて残念だった。しかし、円山応挙の「日月松鶴図屏風」「梅花双鶴図襖」や「富士山図」「水仙図」(図版参照)があり、見ごたえがあった。梅も鶴も描写が実に精密で気品がある。狩野派の装飾性を乗り越え、写生を描写の柱に据えた応挙ならではの姿だ。応挙は江戸時代三井豪商と関わりが深く、各地の三井家に作品が残っているようだ。呉春の花の図が小品5点展示されていたが、線が強くてきれいだった。


ミレー展を観て

ブルトンヌ  1920年
ブルトンヌ  1920年

山本鼎のすべて展を観て

 

上田美術館の「山本鼎のすべて展」に行ってきました。「漁夫」は学生時代に出会った版画で、いたく感銘を受けたことを覚えています。実物は「明星」に載ったものでそんなに大きくはなく、色つきのものは後で刷りなおしたものだということでした。創作版画は明治時代に始めた版画運動で、版下描き、彫り、刷りなど、従来の分担した作業を一人で行うという今では当たり前の作業ですが、当時では画期的なものだったといえます。私の山本鼎との出会いのもう一つは、卒論のテーマに大正デモクラシーの中の自由画教育運動を扱ったことで、その提唱者としての論文などを読んだりしたものです。当時の「臨画」(お手本を写す図画教育)を中心にした図画教育を批判し、自由な感動をもとに美術教育は進められるべきだと提唱し、上田や飯田の小学校での実践もきわめて先駆的なものでした。作品を見て、やっぱり版画に鋭いものがありまして、もっと版画を徹底していたらという感想を持ちました。というのは、創作版画の運動、自由画教育運動、農民美術運動と実にマルチな活動を展開し、忙しすぎたのでしょう。「ブルトンヌ」を最後に版画をやめてしまっています。加えて時代の要請だったのでしょうが、日露戦争の絵を描いたり、日英同盟を記念して絵を奉納したり、今でいう戦争画みたいないろんなことをしていた人だったようで、いろんな意味で勉強になりました。

漁夫    1904年
漁夫    1904年

菱田春草展を観て


国立近代美術館の「菱田春草展」に行ってきました。明治画壇の巨匠で、繊細な表現が大したもので、若い頃「枯葉」などを見て影響されたことを思い出しますが、今回改めて見てみて、何となく物足りないというか、質感の弱さというか、私の言えたぎりではないのですが、そんな感じを受けてきました。どうなんでしょう。もっと対象に迫ってほしかったという思いですが、例えばカラスの表現でも、宮本武蔵のカラスや芦雪のカラスなどと比べるとその迫力に欠けるような気がしてしまうのです。本物を見たからそうしたことがいっそう鮮明になったと思うので、いろんな意味で勉強になったと思っています。中では私は「武蔵野」というのが良かったです。


潮田政幸「水門―震災後―」
潮田政幸「水門―震災後―」

 

今年(2014年67回)のアンデパンダン展を観て

 

 今年のアンデパンダン展を観た何人もの人から、「何かいつもと感じがちがうみたい」という声を聞いた。そんな目で改めて観てみると、あくまで何となくではあるが、会場全体から受ける爽快感・納得感とともに、新しい描き手台頭の息吹を感じたように思う。原発にしても自然環境にしても、まして苦しくなる一方の生活や戦前への回帰すら感じられる政治状況も、時代が時代だけに、「現実を見つめて・・・」となると、どうしても暗く深刻な感じになりがちではあろう。しかし、創作となると必ずしもそれが直接影響していくわけでもないように思う。もちろん、その時その時の時代がすべての創作者の意識に反映していることは間違いないところであるが、表現するにあたっては何を描くのかというより、どういう立ち位置にたって描くのかが大切になってくるのではなかろうか。「時代の表現・生きる証」の中に爽快感や納得感が息づくことは、創作者と鑑賞者の共感を広げ、創造の幅と表現の一層の豊かさをもたらすに違いない。そんな気持ちで4人ほどあげてみた。

 

 古瀬潮里「七里ヶ浜」は0号とP20号の連作だが、一方が特別小さいからか、かえって目立った。20号は上に島を、下に岩場を入れ、中は全面海面だ。画面構成も斬新であるが、海面の色が美しく存在感を出している。丸い地球の豊かな海の恵みを感じさせてくれる。森村幸子の「追想」「作品 2014-3」はそんなに大きい作品ではないが、一昨年の「紫」昨年の「赤と青」から一転、「黒と白」を主体に描いている。黒の色が他の白・黄土・朱とせめぎあって、美しい緊張感を生んでいる。「追想」はいつか、どこかの建物のある風景をも感じさせしみじみとした空気を生み出している。大野恵子「悲しい時間」「ひそむもの」は色調の混ざり合いと主張がここちよく、線もともすれば物の形や画面を区切ってきた線を越え、画面に溶け込んだ美しい流れを創りこみ、内面の表出に成功しているように思う。潮田政幸「水門―震災後」は対象に対する確固とした作者の視点を感じ取ることが出来る秀作だ。ずっと描き続けてきた水門が従来の水門でなく、震災という強烈な体験を経て、また新たな対象物としての課題を投げかけてくる。私たちの描くときの立ち位置を考えていく上で示唆することが多い。

 

 青年コーナーの感想は別な人が書いてくれることになっていますが、せっかくの機会なので、この他に一般展示の中の若い層の作品に触れておきたい。

従来の表現を大きく前進させたのが本多裕樹の「サマトリア」、辛島菜緒「ミラクル」シリーズ。不必要な具象表現を取り除き、抽象的な形と色彩表現で心の内側を鮮明に醸し出している。安藤ニキ「散華の刻」は今年も天使が傷ついた若者を救い上げる。天使に託す安藤の思いは観る者の心に刺さってくる。天使という具体物を越えた所に今後の展開があるように思う。鹿野裕介「手動式演奏型音具」は美術の枠を越え、生活や社会の在り方そのものを造り変える旺盛な創作に挑戦していてたくましい。吉田出「学生と壁」は若者の持つ悩み、悲しみを自画像風に表現していて感情が若者的に直線だ。池淵精「古層の神」シリーズは意欲作だ。樹や水、翁や無数の霊が舞う。自然界や人類に宿った精霊が問いかけているようだ。坪井愛子「想い想い」は街ゆく人々のそれぞれの想いに思いを寄せて、人の温かさを感じさせてくれる作品だ。


小野村直人「昇華」「輝き」
小野村直人「昇華」「輝き」

第66回日本アンデパンダン展

若い層の動向と作品から受けるもの

                               百瀬邦孝

<動向と特徴>

若い層の出品者は相変わらず30人から40人を行き来している(35歳以下の出品者データーでは61回展31人、62回展41人、63回展44人、64回展32人、65回展36人、66回展38人)が、出品者の出入りが激しい。もちろん30代でも10回前後出品している人もいるので頼もしいかぎりだが、今回は若い層の中でも比較的常連といわれる人の不出品が目立ったことが気がかりなことである。昨年私が「展評」にとりあげた作家のうち12人が不出品だった。一人ひとりにしてみれば、さまざまな事情があるのだろうから、何とも言えないがとても残念だ。なんとかきびしい社会・生活状況の中でもがんばって創作に向かい合っていってほしい。

 反面、初出品16名、2回・3回出品の人が11名で、新しい人ががんばっていることが特徴だった。一昨年アンデパンダン展に出品した友達に誘われて出品してきた人、学校に掲示してあったアンデパンダン展のポスターを見て出品してきた人、ホームページを見て出品してきた人もいた。名古屋造形大・京都芸大・明星大などの学生の参加もあり、アンデパンダン展の積極的役割を再認識させる機会にもなった。

<作品から受けるもの>

 若い層の作品の特徴はとりわけ自分自身の心のうちを強く滲み出していることだ。

 安藤ニキは昨年の「不在者の帰還」に続き、「転輪の荒野を行く」で生きていくということは何であるのかを問いかける。光背をいだいた聖母が疲れ果てた男を背負い、安住の地を見つけて彷徨う。大地に生える木は朽ちて空は荒れ狂う。しかし生命は花を芽吹かせ花を開かせる。エルグレコ風な現代の宗教画的表現の中に“救い”と“幸福”を求める強烈なメッセージだ。鈴木泰生の「風景をみる私」も縦長大画面の中央にやせ細った人物が窓から臨む風景の中に横たわり、それを視る「私」の頭の中を駆け巡る生と死を描く。池淵精はそんな不安な世界を「精霊 魂 地湧」「精霊 魂 たまり」で霊の世界から捕らえようとする。板垣泰之が河原でエレキギターを使ってペンキをぶつけ塗る「noiseno noise」は悲しい。この気持ちをどうぶつけ、どう表したらいいのだろうか。破壊と創造とは。考えさせられるインスタレーションだ。コンピューターグラフィック作品、早光亮介「20120831~rule~」の不思議な世界は、ひび割れた荒地に物体から伸びた首が頭をもたげ、叫び声を上げる。そして、西方みさこの「はるん」は吊り下げた衣装に般若心経をプリントし心静ませ、田島理恵は「bach’s dream」でバッハの音楽を聴きながら自分の心のうちを描き出す。ピンクとブルーの強烈な色彩を放つ草花に埋もれていく人は自分なのか。音と色が交じり合った心地よい世界を誘い、本多裕樹の「アスンナキの神々」「アフロディーテ」は神々の世界へ誘う。池田真一郎の「人物」の憂い溢れる表現は小品ながら心のうちを表出した佳作だ。人形作家白砂かげの「夢のあとに」「少女」もまた憂いに満ちた表現で見る人の心を吸い取りそうな不思議さを醸し出している。表現とは物を描きとめることに留まらない“思い”の表出なのだと、あらためて感じさせる。

 自分の表現を求めて漆という素材と向き合う小野村直人の「輝き」「昇華」。ガラスを素材にした吉田出の「「黒き狩猟団」。磨き上げた漆やガラスの輝きに宇宙と地球、造形の未来への希求を感じさせる。忙しい育児の中、「私の子どもたち」「私の子どもたちへ~父さんの子守唄~」を描いた新美朝野の限りない親子愛が、駅のプラットホームで杖を突いて歩く老人を温かく見守る人々を描いた坪井愛子の「道のり」には現実社会の厳しさとやさしさがあふれている。そして、いまなお続く原発の人災に対する怒りを描く杉山まさしの「直チニ問題ハ有リマセン」「御用学者」。究極の人類愛的表現に向け、こうした現実課題とどう向き合うか、どう迫っていくのかの造形課題を問いかけている。

他にも、色彩を制限して造形性を求めた表現の後藤勇治「無題」、対象と格闘しなんとか物の存在感を出そうと努める三浦裕美の「課題1」「課題2」。マジックミラーと鏡を使ってバラの花の美しさを魅せる鹿野祐介の「ただ楽しい。だから形になる」。自らみた夢を描くワタベ・テッサンの「20115月に見た夢」「20128月に見た夢」、辛島菜緒の愛犬CHOBIの連作、あおいくんとポックルの親子絵画など、創作の広がりは限りない。自分の生きている条件と環境の中で、何を見、何を感じ、何を表現していくかは無限の響きを持っている。足を踏み出しながら、仲間と足跡を確かめ合いながら自分の表現を創り上げていってほしいものだ。


(図版1)「記憶と忘却と」
(図版1)「記憶と忘却と」

坪井功次作品展を観て

 零細鉄工所労働者の苦悩と誇りから理想郷への形象化

                         百瀬 邦孝

 「この十年は自分にとって怖いものがあった」「自分の求めるものをようやく探り当てていく十年だった」と語る坪井功次の十年ぶりの作品展を観た。(2013.1.14-20開催) 会場の堺市立文化館のギャラリーにはこの十年間、日本アンデパンダン展や「地平展」に出品された大作を中心に、97点が陳列されている。地元の人たちがこれらの大作を目にしたのは初めてということもあり、そのダイナミズムに来館者の驚きを呼んでいた。事実、十年前の個展の後から、従来の日本アンデパンダン展の出品に加え、美術集団「地平」に加わり、埼玉近代美術館や東京都美術館での「地平展」に出品を積み重ね、自身の零細鉄工所の労働の現実と苦悩、現場労働者の誇りと理想の形象化をひたすら追求してきた坪井功次十年の集大成である。

2004年の「継がる線」、2005年の「斜光」、2006年の「錆ゆく男」に始まる労働者の群像と打ちのめされゆく労働者像にオーバーラップする工業機械の設計図は複雑に絡み合う社会の現実そのものであり、そうした社会への抗議・告発状だった。そしていっそう深刻さを増していく不安と混迷。2008年の「日常の不安」から2009年の「不安なララバイ」。設計図の線は赤い線となって不安をさらに掻き立て、どうにも身動きの出来ないほどに労働者を絡めていく。そして、不安の象徴ともいえる真っ黒なカラスが労働者の頭上で目を見開いている。

こうした不安と憤りはアンデパンダン出品作品「累々と」「乞う人々」にも繋がっている。

 氏はことさら社会性をテーマに描いてきたわけではない。「社会と自分の位置を確認しながら、毎日の生活での心の動きを一市民として描く事」(2009年地平展一言集)に心がけてきた結果としての表現なのである。氏は「今」を描きたいと語っている。同じリンゴでも過去に描いたリンゴと「今」描いたリンゴは違うはずだ。そこに、「今」を感じさせてこそ真の存在感があるのだと。だから、自身を取り巻く現実とその中で感じてくる「今」を素直に描きつづけてきたし、これからも描き続けていくに違いない。そこに、一極零細鉄工所の労働者としての坪井功次と画家としての坪井功次が存在しているのだ。こうした市井の画家の存在こそが深い所で日本の美術を創り支えているのだという思いを強くする。

その後、造形性を加えた表現を意識しつつ、2011年「錆ゆく・去りゆく・寂れゆく」、2012年「記憶と忘却と」(図版1)で不安とともに労働者の誇りと理想を希求していく。6枚から8枚に縦分割された画面には、自身の作業着や軍手をモチーフに、時として実物をも貼り付け、宗教画的ともいえる「希い」の込められたマチエールを創り上げていく。自身の分身ともいえる「軍手」は空中を鳩のように飛び交い、炎となって燃え、希望を求めて彷徨っているようだ。

今回の展覧会には、昨年(2012年)の「地平展」に出品された「町工場エレジー」6枚組に新しく3枚が加えられ、9枚組の大パノラマ画面(図版2)が登場していた。左から右に向かって閉ざされた工場のシャッターを背景に様々な労働者と社会の日常が組み込まれていく。ここでも画面途中から登場した「軍手」が画面右に向かって羽ばたいていく。その軍手とともに見る人を天空に誘い込み、天に伸びる建築用リフトを越えて大阪の街並みを俯瞰する。何とも鳥になって浮遊しているような、映画を見ているような不思議な感覚を覚える。もう一つの壁面を形作る4枚の組絵画(図版3)も同様の「軍手」のいざないである。左から「冥想」「壊想」「無想」「理想」となっている。理想に向かって飛び続ける手袋たちは自分自身であり、私たち自身であるのだろう。

氏のパンフレットに書かれた言葉が、控えめながら、この十年の試行錯誤を通じて形作られてきた“生きぬいていくしたたかさ”と“創作への真摯な姿勢”、氏の理想郷へ向かうこれからの十年への限りない決意を表しているように思いつつ会場を後にした。

「絵画を専門的に学ぶ事も生業とする事も無く、町工場の極零細企業といえる鉄工所で働くなかで、様々な想いを描きとめてきました。私にとって創作は日々の感情のはけ口、心の整理の場とする日記の様なものです。かといって、状況を再現するドキュメントでもなく、現実に端を発して想いを膨らませるフィクションとして制作をしてきました。

ことさら、社会的な題材をめざしてはいませんが、想いを突き詰めたり拡げたりした事をかたちにした結果が、そう感じさせるのかも知れません。モノ造りが社会生活の基盤だと自信を持ち働き描いて来ました。今、世界的な不景気に低迷する製造業、変化する産業の転換期に発生した東日本大震災と原発事故。足元が崩れる様な不安と不信感のなかで迎える定年期は、社会の片隅に居る我が身にも更に黒い重しとして伸し掛かり、それまでの創作に少なからず変化をもたらせているようです。果たして、作品が今という時代を表現できているのか、これからの自分に何が描けるのかは判りませんが、今回の作品展が次の一歩になればと思います。」(坪井功次作品展パンフレットより)

 

追記

今回の作品展には、それら絵画のほかに25点の立体作品が展示された。鉄工所での仕事の合間、鉄やステンレスやアルミニュウムなどの切れ端を使って創られた作品だが、さすがに本職の技がすばらしく、道具も材料も手の内にある。プロの楽しみとも言える肩ひじを張らない創造の中に目を見張るものがあった。「海鳥」「群鳩」「群鴉」や女性像「絡まる」「抱擁」「逃走」など。中でもアルミニュウムの板をねじって植えつけた「風の道」(図版4)は草むらを通り抜ける風と草むらの輝きが見事に表わされ、材質と自然の営みを巧みに表現した秀作だった。

2013.1.20

(図版2)「町工場エレジー1~9」
(図版2)「町工場エレジー1~9」

(図版3)左より「冥想」「懐想」「無想」「理想」
(図版3)左より「冥想」「懐想」「無想」「理想」

図版4「風の道」
図版4「風の道」

第65回日本アンデパンダン展評

若い層の作品を中心に観て

                         百瀬 邦孝

 全体の出品者が、毎年100数十人の初出品者を迎えながらも800人を前後していると同じように、若者の分野も毎年出品者が入れ替わりながら3040人余を行き来している。35歳以下の出品者データーでは、国立新美術館に移って以降、61回展31人、62回展41人、63回展44人、64回展32人、65回展36人だ。今回展は2030代の合計が昨年より8人増えたこともあって、出品者平均年齢が1.3歳若くなった。が、アンデパンダン展の若手台頭!という大きな流れが始まっているとは言えない。とはいえ、この間、のべ100名を超す若者(35歳以下)がアンデパンダン展を選択し、かかわってきていることの意味は大きい。そして、アンデパンダン展にとどまらず、様々なグループ展や一昨年から始まった「ART CONFUSE展」などのかかわりのなかで、新たな動きを実感できる流れをつくっていきたいところだ。

 そのために非常に大きな問題は、自身の創作環境をいかにつくるのか、にある。これもまた若者に限った事ではないが、劣悪な生活状況の中にあって、どう創作に向う「時間」と「場所」と「費用」を確保するかが安定的な創作と出品を保障するカギでもある。「絵が好きで描き続けていきたいが、そろそろ結婚も考えると続けていかれるかと不安になる」と語る若者も、「昨年は出品できたが、今年はどうしても作品が出来なかった」若者も、絵を描き続けていくことの醍醐味と、人としての根源的創作のエネルギーをもって突き進んでいってほしいと、願うばかりである。

 以下、今回展の比較的若い層の作品を中心に見てみたい。

忙しい育児の合間に鉛筆を走らせる青木鮎美の「息子」、小池美紀の「夢」「絆」。我が子への愛情と生活の中で絵を描くということのすごさが、絵とは本来そういうものなのだと思わせる。「若き母は強し」だ。

狩野大寿は「夜明けに流れる風よ」で若者の揺れ動く繊細な心を描く。西方みさこは「私のココロ」が語るものを書き込む。永遠・両親・苦労・がむしゃら・祈り・支援・自由・・・。丸山友「マサミガシロコ」は「ころしがみさま」の世界を克明に描き、人の存在と戦争の歴史、平和を描く。安東ニキは「不在者の帰還」で人間の存在そのものを問いかける。鈴木武徳は点描で、山下ちひろは影絵で自分の世界を作ろうとしている。「若者の繊細な心」は揺れ動くのだ。

一方、昨年の静かな森林から一転、強烈な色彩による酒とスイーツの至福の時を描いた辛島菜緒、昨年はサッカー、今年はサーフィンをテーマにしたワタベテッサン、従来の色から明るく軽快な色に転じた本多裕樹の「モーリア大如来」「ザビエル大天使」などのおおらかな表現にも心ひかれる。

じっくりと対象に向き合う三浦裕美の「卓上の静物」「自画像」、山口友理の「卓上静物画」「静物画」、清涼感溢れる空気と水を魅力的な色彩で描く斎藤英理の「昼休み」「バケツ」、大山園子の「早朝歩く」「水溜り」、画面いっぱいに描いた黒猫の目が愛らしい石川沙羅の「kojirou」。何かを求めようと手を伸ばして横たわる女性とツルを伸ばした朝顔を大画面に描く石橋ゆき乃の「無題」も力作だ。宇津木信吾の「心の深層」と「浮かぶ」は人の眼を通して社会と心の動きを色に託した大作。新聞を読む人たちを通して現代の世相を描く坪井愛子の「モーニングタイム」「どこに向って」。新聞には橋本市長の記事が書かれ、作者の民主主義への思いが滲む。

今回展では、大震災・原発問題をとらえた作品が目をひく。新谷香織の「チェルノブイリと福島」は分割された馬の部分部分に原発事故のコラージュを配置し、新しい表現の中に人類が体験した歴史の教訓を描き込んだ。杉山まさしの「ZONE-1」は福島原発後の人一人いない荒涼たる大地と廃車、廃屋をオレンジと緑の不安な色彩で描き、立ち入り禁止の原発標識で改めて原発の危険を問いかける。滝口未矢子の「祈り」、新美朝野の「「灯り」もまた、不安と希望の入り混じる鎮魂。

市川正和の「THE EARTH」は製材したての巨木の板材を円に配置し、地球と自然の共生を志向した意欲作。早光亮介の「生気、生命のサイクル、監視と虚無」はコンピューターグラフィックを駆使した作品で、現代社会に渦巻く物と心の葛藤を繰り返す。

一つ一つの作品に込められた若者のメッセージは新鮮で重い。その思いを新しい造形として花開かせていく長い道のりに希望を託して、また第三回の「ART CONFUSE展」と来年のアンデパンダン展につなげたい。


第64回日本アンデパンダン展評

若い層の作品をみて

                               百瀬 邦孝

 昨年11月に「若者による、若者のための展覧会―ART CONFUSE EXIBITION」を行ったこともあって、若者の作品についてさらに興味深く観ることができたので継続して一言記しておきたい。

 CONFUSE展の際も「若い人たちの創作環境」(日本美術会会報118号)について書いたように、依然としてフリーターというより職がない、よってお金がない、子育て真っ最中、創作する場所がない、働きずくめで時間がない、といった劣悪な創作環境におかれていて打開の先も見えない、のがあたりまえの現実になっている。だからというわけではないが、「一概に一作品の善し悪しでは計れない若者達の創作環境の中で、自分の表現をどう発展させていくことが出来るのかは、長い目で見ていくことの大切さと、多様な表現を受け入れていく中で互いに切磋琢磨していく以外に近道はないんだということも痛感する」(同会報)という思いは今も続いている。

様々な創作環境の中でも若者は思い思いに、あるときは鉛筆一本で、あるときは広告をちぎって、あるときはいらなくなった生活用品で、自分を表現しようと多彩な試みをしている。今回の青年の出品作品を見て感じたことの一つは、そのことだ。

島田涼平や安藤伸輔が鉛筆やサインペンで一枚の紙に痕跡を残すことを黙って見過ごしてはならないのだ。最首信吾や平岡直生・矢沢友将・眞野丘秋が大きな画面に色をぶつけ、ワタベテッサンがテニスコートでの犬のサーブを自由奔放に描き、荒川苗穂が広告の紙をコラージュして「ドリームタウン」を描き、丸山友と野木光が持ち前のペン画を使って若者風な緻密なイラスト表現に挑戦しているが、そこに同様の若者の心を感ずるのだ。日常の子育ての中で子どもと一緒に色見つけの日記をつづった村上史江の「印象の色」も、いらなくなった傘の骨をドラムの上に活け花のように積み上げた小河原淳の「太陽」もそうだ。

もう一つ感じたことは、そうした厳しい環境の中にあっても、自分自身の表現、自分自身の創作を追求しようとしていることだ。

三浦裕美は従来の鉛筆による細密な描写を離れ、版画による表現で自分の生活の回りを表現している。「駅の前」は人や木々の影が交錯して見る人の頭の中を美しく駆け巡る。温かさにつつまれた家族を描き続けている新美朝野は組み木を使った家族像に挑戦している。いつ見ても微笑ましい作品だ。伊藤協子は黒い画面におばあちゃんと猫を描き、長く生きてきた人生の辛苦をにじませる。石橋ゆき乃の「幸福連鎖」は100号の大画面に大胆に女性と朝顔の花をからめた。紙の白を生かして黒と赤に色を制限して、弱そうでいて強い意欲的な作品だ。東北の地にいて、昨年ストーブのある部屋を描いた小原民子は今回「アメリカにもたれて立つ人」で、そんなストーブのある部屋の日常の中になにげなく入り込んでいるアメリカとの関係を描き、滝口未矢子は「明日」で青暗い空の下、木に止まって遠くを見る鳩に自分を重ね、木彫に挑戦している檜山薫は空の空間と大地に生きる子どもたちを彫り込み、日本の将来や希望を見つけ出そうとしている。

杉山まさしは1960年代のアメリカをヒントに「BAR」を描いて現代人の苦悩と悲哀を訴える。オレンジやグリーンを配色しながらも落ち着いた色面構成で想像力が広がる魅力的な作品。やはり、現代の不安を不思議な世界に徘徊する人物で描く高橋健治の「醒めぬ夢」。イラスト風に色彩豊かな表現で楽しく愛とPEACEを描く吉田友久。「ピエタ」「受胎告知」など古くからのテーマを現代風に新しい色で挑戦する本多裕樹。いずれも若者の色彩感覚の多彩さを感じさせてくれる。

 そして、もう一人忘れてならないのは木工芸の市川正和だ。250cm×85cmの大きくて重厚な木を使った「テーブル、棲む」は人間の心の奥に潜む自然への憧れを呼び起こし、不安の連続である現代社会へのアンチテーゼとしての「安心感」を強烈に伝えている。

 若者は健在だ。もっと描き、もっと創作し、もっと発表し、そして、苦しくも楽しく、もっと物を見つめ、時代を見つめ、語り合っていってほしい。そして、来年の65回展で再び若いエネルギーを爆発させてほしい。また、今年の818日から20日に第2回目の「ART CONFUSE EXIBITION」が北区・王子駅前の北とぴあで開催されるので、これにも参加を呼びかけたい。


稲井田勇二日本画展を見て

           百瀬 邦孝

 稲井田勇二日本画展(4/19-25、ギャラリーくぼた)を見た。第63回日本アンデパンダン展の直後でもあり、その中心的な活躍に生活の大半の時間が費やされていたと見ていたが、会場に展示された作品の一つ一つに氏の旺盛な制作エネルギーを感じさせられた。 海、波、山、霧、樹、芙蓉、牡丹、ドクダミ…など多彩な作品の中で、ひときわ目をひくのは「樹」だ。長谷川等伯展を観ての影響がないわけではないが、氏は数年前からとりわけ好んで「樹」を手がけている。樹の幹から末端に至る枝の流れが実に美しい。加えて樹をとりまく自然界の空気の静けさが身に凍みる。その静けさの中に舞う鳥たちも。
 今回はことさら細かい表現へのこだわりが見られる。面相筆を使っての細密な描写の試みは日本の伝統的な日本画表現の中に自身の表現のあり方を見つけているようにも見える。氏の表現は二つの流れが混在している。一つは備前焼の質感や山々の岩肌を意識した重厚な厚塗りの表現、もう一つは樹や海のようにあえて岩彩や色を排除した無彩色風な表現。今後どのように発展していくのか楽しみである。
 もう一つ触れたいのは氏がこだわっている画面の分割について。画面構成上タブーとも言える「縦半分」「横半分」の分割を樹や海を題材にして意図的に行うことで、画面の新たな心地良さを見つけ出そうとしているのである。赤い樹「赫」に見られる縦分割はかなりおもしろくなっている。海の横分割はこれからの挑戦に期待したいところである。